デイリーニュースでお知らせされた、タイトルのキャッチコピーに思わず視線が止まる。
日本人=共同体主義はウソ?
これは『なぜ世界は存在しないのか』がベストセラーとなり、世界中から注目を集めている哲学者
マルクス・ガブリエルの新著
『つながり過ぎた世界の先に』で論じられていた。
日本人の特徴の1つとして、自分のことよりも相手のことを優先する傾向がある。
欧米と日本とで比較してみると、欧米=個を重んじる(個人主義)、日本=全体・共同を重んじる(全体主義・共同体主義)というイメージを持っているのは、私以外にも多くの人があるのではないでしょうか。
しかしこれも一種のステレオタイプであり、このイメージを覆す社会学的証拠がつきつけられた。
ミシガン大学を中心に行なわれている世界価値観調査(World Values Survey)によれば、先進諸国のなかで日本が最も社会的孤立度(social isolation)が高いという結果が出ています。
この調査でいう社会的孤立とは、家族以外のつながりや交流がどのくらいあるかということです。
社会的に孤立度が高いということは、家族・学校や職場などの狭い範囲だけの交流で、それ以外の人と会う機会が少ないということですね。
データによると社会的孤立度はドイツは全体で下位から5位。
ドイツ社会では、人と一緒にお酒を飲んだり、散歩をしたりすることが非常に重要な役割を果たしているらしく、その文化はドイツ全土に見られています。
この結果に至った背景は色々考えられますが、そのうちの1つに「家族以外との断絶」があるのではないかと思います。
最近は物騒なニュースを知る機会が増えたことからも、近所であっても交流をしない。
東京のマンションに住む友人の話では、挨拶をしても返してもらえないケースがあると聞きました。
これはあくまでも私の見解ですが、最近の日本人は「内」と「外」の境界線が強い。
家族や身近な集団の「内」では緊密なつながりを持っていても、家族や集団の「外」に対しては閉鎖的なところがあり、つながりを積極的に持とうとする人が少ないと感じます。
その文化が顕著に現れた結果ではないでしょうか。
また、マルクス・ガブリエル氏はこの本の中で、日本人は独特のコミュニケーションを持っていると言われていて、こう表現されています。
1) 日本はスマホに支配されたサイバー独裁国家
2)冷静に議論ができない日本人
1)では、日本がデジタルインフラに対して最も批判が少ない国ではないかと言われていました。
ほとんどの人がスマートフォンを使用したコミュニケーションに依存していて、その姿はまるで他人に触れてはいけないルールでもあるかのように感じたと。
2)では、日本人は意見が対立したとき、すぐに丸く収めようとする。またはすぐに多数決を取り、多数者に従うかたちをとる。
それは「察する」、「空気をよむ」といった表現であるように、相手・周囲の状態に合わせて対立を避ける傾向があると私も感じます。
私自身、哲学に本格的に関心を持つまでは、できる限り衝突を避けて、みんなが円満にあることが良しと思っていました。
しかしこの状況では新しい価値や創造性が育たないし、結局どこかで我慢が蓄積され、結果薄っぺらい関係性になってしまう。
このままでは意思決定が常に曖昧になってしまうし、自分の言葉や行動に責任を持ちにくく、論理的思考も育たないと思います。
本の中では、日本人も意見が対立したときは、もっと合理的な解消のプロセスや討論(ディベート)を導入するべきであり、日常生活の中にそういうものを増やすべきだと記されていて、対立を避けるのではなく、むしろ対立にさらされる機会を増やすべきだと言われていました。
また、このような提案もされていました。
冷静に討論をするためには、時間・空間をきちんと設定するべきである。
スペースがあれば例え対立が起きても完全に個人的な対立にはならない。
激しい衝突になるかもしれない重要な問題だからこそ、冷静に語り合う力強い討論が必要である。
そのためには、メディア・会議・イベントなど、何らかのプラットフォームが必要。
相反する提案を掲げる者たちが、何が正しいのかを決めるための対話に入るべきであり、哲学の討論はそのように行われるもの。
それぞれの賛否を出し切り、合理的な根拠を検討した結果、最終的に導き出される結論は、それぞれの妥協点のどこかに落ち着くでしょう。
そうやって統合したら、よりよい信念のシステムが生まれる。
これがまさに哲学的な討論の仕組みです。
この内容をみたときに、まさにこのシステムを導入しているのが令和哲学カフェだと思いました。
このオンラインイベントの一番人気、WHT(Widening Heart Technology)というコミュニケーションワークがまさしく哲学的討論です。
私がファシリテーターをさせてもらったときの映像があるので、みていただけると嬉しいです。
WHTも行っていますので、哲学的な討論のイメージがつくのではないかと思います。
こういう論理的な討論が日常で行えるようになれば、コミュニケーションの質が変わり、より深い関係性が築けるはずです。
かつてローマ教皇が日本のことを「ゾンビの国」「心の貧困国」と言われていました。
私は2度と日本がこういうことを言われたくないと思っています。
もちろん日本だけでなく、世界中の人が自分も他人も愛せるようになったらいいと思う。
敵をも愛する日本。そう呼ばれていた時代もあったのです。
もう一度、みんなで日本を再建したい。
そう切に願い、実践します。